麻雀概論Ⅲ

2012年7月29日 麻雀
予告通り「運・ツキ・流れ」について私の見解を述べる。
まず「運」については特に問題はないだろう。日常生活の中でも運が良い・悪いといったことがあるが、それと大差ない。「ツキ」も似た様なものだ。

しばしばオカルト肯定派と否定派とで議論になるのが「流れ」である。
・流れが悪いと配牌も悪い
・流れが悪いと和了できない
・流れが悪いと鳴いて流れを変えろ
等々が流れ論でよく耳にする話である。

私が実際に合った流れ論者(オカルト派)の一例を挙げる。
仲間内での麻雀であったが、彼は初心者の後ろについてサポートする役に回っていた。当然初心者はあれこれアドバイスを必要とするのだが、彼は時々「ここは鳴いたほうが良い流れになる」、「ここはリーチすれば和了できる流れだ」など根拠0%のオカルトを語り始める。成功した時は「ほら、言った通りだろ?」と自慢気に語り、外した時は「まあ、麻雀だからこう時もあるよ」などとほざく。
ようするにただの直観に頼っているだけなのだ。こうした「流れが良くなる」という話はパチンコをする人の「トータルでは勝ってる」と同程度の信憑性しかないと言い切って問題ない。

かといって私はオカルトの全てを否定しているわけではない。小手先でどうにかなる流れは、所詮結果論に過ぎないと確信しているものの、その試合全体を通した流れというものは確かに存在するのではないか?と思っている。この試合はどう頑張っても1人にしか勝ち目が無かったのでは?という疑問を抱かざるを得ない時もあるのだ。
私の立場を説明すると、”流れはある。ただし小手先でどうにかなるようなものではなく、試合全体に架かる大きなものである。”といったものだ。

ちなみに流れを一切信じない、いわゆるデジタル派の考えは、私は中々受け入れられない。やはり「流れ」というものがあると信じているからだろう。逆にデジタル派の人々は本当に麻雀を楽しめているのか?と不安になる。



さて、これで私の書きたいネタは消化しきってしまった。流されてこの記事に辿り着いた方々でも構いませんのでなにか書いて欲しいということがありましたら、遠慮なくコメントして下さい。またしばらくネタが無くなりそうなんです・・・。

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