麻雀概論Ⅳ

2012年10月5日 麻雀
少し暇を見つけたので麻雀について

今回のテーマは「リーチのかけ方」

時々、何でもかんでも即リーする人がいるがその癖は絶対に止めましょう。即リーは得することより損する方が多い。

私が即リーしてもいいと考えている場面は
・40000点前後持っている東場
・明らかにツイているとき
・満貫以上が確定している時
・手変わりがない時
このくらいだ

40000点の説明を詳しくすると、南場になると一発逆転を狙わないと勝てない状況の人が出る可能性がある。その人がいる状況で手牌を固定することは非常に危険だ。さらにそれ以上に点差を広げると、やはり一発逆転を狙い始める。そんな状況ではリーチせずに逃げ切ることを優先に考えればよい。

私はリーチをする・しないの大きな基準として、うれしい手変わりがあるか?を考える。
例えばただの平和の形に一盃口がつく手変わりが存在するなら当然のようにダマにしておく。
こういった目先のことに囚われない打ち方が強いと私は確信している。

リーチには手牌を固定する、というデメリットが発生する。それとメリットを比べてメリットが勝つなら遠慮なくリーチすればよい。

一局一局を大事にすることは重要だが、その局にしか目がいっていないように感じる人がたまにいる(天鳳とか特に)。
しかし麻雀は半荘あるのだ。最低でも8局あるのだから1局を諦めることも、和了するときに少しでも得点を伸ばす技術も必要なのだ。




全ての雀士に幸あれ

麻雀概論Ⅲ

2012年7月29日 麻雀
予告通り「運・ツキ・流れ」について私の見解を述べる。
まず「運」については特に問題はないだろう。日常生活の中でも運が良い・悪いといったことがあるが、それと大差ない。「ツキ」も似た様なものだ。

しばしばオカルト肯定派と否定派とで議論になるのが「流れ」である。
・流れが悪いと配牌も悪い
・流れが悪いと和了できない
・流れが悪いと鳴いて流れを変えろ
等々が流れ論でよく耳にする話である。

私が実際に合った流れ論者(オカルト派)の一例を挙げる。
仲間内での麻雀であったが、彼は初心者の後ろについてサポートする役に回っていた。当然初心者はあれこれアドバイスを必要とするのだが、彼は時々「ここは鳴いたほうが良い流れになる」、「ここはリーチすれば和了できる流れだ」など根拠0%のオカルトを語り始める。成功した時は「ほら、言った通りだろ?」と自慢気に語り、外した時は「まあ、麻雀だからこう時もあるよ」などとほざく。
ようするにただの直観に頼っているだけなのだ。こうした「流れが良くなる」という話はパチンコをする人の「トータルでは勝ってる」と同程度の信憑性しかないと言い切って問題ない。

かといって私はオカルトの全てを否定しているわけではない。小手先でどうにかなる流れは、所詮結果論に過ぎないと確信しているものの、その試合全体を通した流れというものは確かに存在するのではないか?と思っている。この試合はどう頑張っても1人にしか勝ち目が無かったのでは?という疑問を抱かざるを得ない時もあるのだ。
私の立場を説明すると、”流れはある。ただし小手先でどうにかなるようなものではなく、試合全体に架かる大きなものである。”といったものだ。

ちなみに流れを一切信じない、いわゆるデジタル派の考えは、私は中々受け入れられない。やはり「流れ」というものがあると信じているからだろう。逆にデジタル派の人々は本当に麻雀を楽しめているのか?と不安になる。



さて、これで私の書きたいネタは消化しきってしまった。流されてこの記事に辿り着いた方々でも構いませんのでなにか書いて欲しいということがありましたら、遠慮なくコメントして下さい。またしばらくネタが無くなりそうなんです・・・。

麻雀概論Ⅱ

2012年7月27日 麻雀
今回は、どうしたら麻雀が早く上達出来るか?をテーマにする。

経験を積むというのが一番だと思うが、それでは話が広がらないので、もう1つ手っ取り早く上達する方法を説明する。
実に簡単な話で、牌効率の良い打ち方をすればいいのだ。漠然と牌効率と言われても困るだろうから、その考え方を書く(牌効率の概念は本でも読んで)。

麻雀を打つ時に一打一打に意味付け、つまり説明が出来ればいいのだ。何故この牌を切るのか?他の牌ではだめか?今このタイミングである必要は?などを考えながら、ほとんどの捨て牌に無理のない説明が出来るようになれば、自然と麻雀の腕も上達していることだろう。


話は変わるが、麻雀において守り・当たり牌の察知は非常に難しい。なんとなくこの色が危ない、までは解ってもピンポイントで牌を避けることの出来る人はそういないだろう。なんとなく解るのなら、その色を避ければいいのだが、まるで判断材料が無い時はどうすればいいのか?
私は判断材料がまるで足りない時は突っ走ることにしている。早いリーチに対しては特にだ。
例えば3巡目の立直に対して、危険牌が解るわけがない。解らないものに対してあれこれ思考を巡らせるよりは、突っ走るほうがいいのだ。早い立直は大抵安いので痛手にもならない(逆に遅い立直には要注意)。
捨て牌から察知するには、これはもう経験を積めとしか言えない。ただ一般に言われるスジ・裏スジは等はそんなに重要ではない、とだけ言っておく。


次回は「運・ツキ・流れは存在するのか?」という感じのお話にする予定。

麻雀概論Ⅰ

2012年7月27日 麻雀
私が麻雀に出会ったのは7,8年程前のことである。。私はすぐに麻雀の虜となり、毎日最低でも1回は麻雀を打つような(ほとんどがネット)人間になった。そんな私がほんの思いつきで「麻雀に対する接し方」の持論を書くことにした。

事前に断わっておくが、私は麻雀が好きなのであって、ギャンブルが好きなのではない。何かがかかっていようがいまいが、私の麻雀に対する態度が変わることは無い。純粋に競技麻雀が好きなのである。10時間ぶっ通しで打ってもまだ飽きが来ないくらいには好きだ(付き合わされた人々はゲンナリしてた)。

私はこれまで仲間内・フリー雀荘とで様々な人と打ってきたが、弱い人はだいだい同じ共通点を持つ。それは我慢が出来ないということだ。
私の持論に「和了は運。振込は実力不足。」というのがある(持論①)。文字通りの意味であるが、弱い人の共通点と合わせて説明する。
麻雀は最終的に点を多く持つ人が勝つ。言い換えると”多く稼ぎ、少なく払えば勝つ”。そこで重要になるのが、いかに和了るか、ではなくいかに振り込まないかである。自由に和了れる人などいないので守りが重要になる。
弱い人は何でも突っ走ろうとする。少し上手になっても立直されないと警戒しない。これでは簡単に振り込んでしまう。いくら稼いでも、その分以上に吐きだしてしまうのだ。
麻雀は時に、どんなに完璧に打っても半荘で一度も和了れないことがある。麻雀は運要素が強いので仕方ないことではあるのだが、そんな時に実力で、どうにか出来る範囲で努力をする必要がある。その範囲が振り込まないことである。
私が攻める時は、ある基準に従って攻める。それは
①最高得点
②所持するドラの枚数
③和了の確率・期待値
④先立直・高そうな仕掛けの有無
である。

①は自分はどれくらいの得点を得られそうか?というものだ。立直をしても満貫も行きそうにない時は基本的に攻めない。他家が押したら決して無理をせずに引く。
この時に裏ドラに期待してはいけない。

②もし自分がドラ(4+α)の内、大半を持っているのならば、ほぼ全突っぱする。他家がドラをあまり所持していないのだから和了の得点もたかが知れている。自分の方が圧倒的に有利なのである。

③当然、上がり目がないのでは攻める意味がないし、1,2枚でも躊躇してしまう(当然その時の状況に左右されるが)。私は嵌張待ちは和了し難いので好まない。聴牌しても両面待ちになるまで待つこともよくある。

④先立直や重い仕掛けは当然警戒すべきであるが、①で最低でも跳満は狙える状態や②でドラを4枚持っているならお構いなしで走っていい。

要するに弱い人は攻める時と守る時がはっきりしていないのである。どんなに高い手を育てていても和了が絶望的ならさっさと諦めるべきだし、早和了が可能なら喰いタンの1,000点であっても和了るべきである。
逆に和了ることが出来ない時はじっと耐え忍ぶしかないのだ。それが半荘続くのなら半荘中ずっと耐えるのだ。そこで和了りたい気持ちを我慢して守りに徹すれば最小限の支払いで済み、一度も和了出来なくてもラスを回避することが可能になる。

最後に私の持論②を紹介する。
「運6割。実力3割。その場の直観1割。」


麻雀概論Ⅱに続く。

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