なでしこジャパンの表彰式や、毎年恒例の東京の花見の後に残る大量のゴミも、問題視されるたびに「一部の人間がやっているだけ」という決まり文句がでる。
しかし私はそんなことでは済まされないと思っている。確かに迷惑行為をしているのは一部の人間だろう。だが連帯責任という言葉がある。一部が悪行を働くと、その一部が属する全体が悪行を働くと認識されるのだ。理不尽と感じるかもしれない。
皆さんは小学生の頃こんなことを言われなかっただろうか?
「たとえ学校の1人が悪いことをしても、世間は〇〇小学校の〇〇君が悪いことする、とは考えません。〇〇小学校の生徒は悪いことをすると考えます。だから1人1人が自覚しなくてはなりません。」
私は小学生の時に嫌というほど聞かされた。だから、私は外では恥ずべき行為はしないという体質が染みついた。
前出の例もこれにあてはまるのだ。もっと例を出すなら、韓国のある1人が捏造を行った時、「これだから(韓国の)〇〇は~」とは言われない。「これだから韓国は~」という論調になるのと一緒だ。
細かい内訳なんて外からしたらどうでもいいのだ。(アニメオタクも鉄道オタクもそとから見たら「オタク」と1つに括られる)


なんだか校長先生の話みたいになってしまったうえに、私自身どこに着陸すればいいのか解らなくなっている。文章を読んで何か思ってくれれば・・・と思う。

コメント

胆液
2012年8月11日6:41

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